過去の大災害住民力
阪神淡路大震災
1995年真冬の1月、
朝5時突然体が宙に舞った。
ふと揺れで起きると、梁の下敷きになっていた。家族共々20分かけ脱出することが出来、家を出た瞬間8割の近隣家屋が倒壊していた光景に驚きを隠せない。自治会指定の避難所である公園に足を運ぶと、近所の人たちも集まっていました。点呼をとりいない家庭をチェックし、チーム分けをし、即座に救出に向かいました。タンスなどの下敷きになって動けない人を引きずり出して救出、必至でがれきをどかし、声の元へ辿り着き救出。点呼時にいなかった12人全員を助け出すことができました。日ごろの近所付き合いが甲を奏し、協力体制のもと13時間にも及ぶ救出となりました。
阪神淡路大震災の 救助した主体者
出典:内閣府防災白書平成26年度をもとに作成
77%は住民・地域の力によって
27000人が助け出されています。行政も国を挙げて総出動しても、大規模災害では追いつかないのです。
死者4571名。お亡くなりになられた方・ご家族・ご友人様にはご冥福をお祈り致します
東日本大震災
平成23年3月11日。午後2時46分に東日本大震災が発生すると、釜石東中の副校長は教室から校庭に出始めた生徒たちに、大声で叫んだ。
「みんな避難所に走れ-」
先生達が、先導役となり多くの生徒が避難し始めた。点呼場所に集まる生徒もいたが「点呼はいらない、走るんだー」と男性教職員。
4分後の2時50分には、多くの生徒が、学校を出始めていた。800m先の福祉施設避難所に、向かいながらも、周辺の住宅に「3mの津波が来ます。3mの津波が来ます」と、避難を呼びかけながら走ってくれている中学生達。途中で小学生が、校門から逃げ出すのが見え、多くの中学生は、小学生のもとに行き、みんなで手を引きながら一緒に逃げた。
逃げている間も、数度の余震。地域住民も続々家から出てきて、子ども達の誘導。先生達の大きな声での叫び声。無事、15mの高台である指定避難所に到着した。しかし後ろを振り向くと押し寄せている津波が確認できる。「ここじゃダメだ、さらに上にいけ」と叫んでくれる中学生。先生達も、即断で、集まった生徒達に指示。さらに15m高台へ、「みんな走って」と必至に呼びかける先生と住民達。
この直後、津波遡上(そじょう)高は約20メートルに達したが、生徒約570人は津波から逃れることができたという。ただ学校に残った教職員や誘導の為の住民が犠牲になっている。あれから10年経った今、奇跡と題して記述させて頂いているが、それに備えた訓練の継続・地域の共助が本当に大事なんだということを、改めて伝えたいが為に記述させていただいているのをご了承頂きたい。